
「住宅営業(yè)、
人生の喜びをともに」
初めての契約を逃し、迷い、悩み続けた新人時(shí)代。その試練をチームの支えで乗り越え、トップ住宅営業(yè)になるまでの成長(zhǎng)の軌跡を追う。

![]()

![]()
![]()
![]()
![]()


相手軸で周りの人を思いやる
「會(huì)社を辭めよう。もう無(wú)理。私には、この仕事は務(wù)まらない」。
住宅営業(yè)として新卒入社した1年目。ようやく取れた初契約はキャンセルに。それから一つも契約が取れず、自己否定でどん底に沈み、體調(diào)を崩した入社2年目。「辭めよう」とばかり考えていたあの頃、まさかこんな日が來(lái)るとは想像もできなかった。
入社6年目の藤村は、帝國(guó)ホテル 東京で開(kāi)催された表彰式で大きな拍手に包まれていた。大和ハウスグループの社內(nèi)表彰制度「Daiwa House Award」で「優(yōu)秀社員社長(zhǎng)賞」を受賞。住宅営業(yè)部門(mén)にはおよそ1,000名超が在籍しているが、その中で年間の棟數(shù)?利益トップを獲得しての受賞だった。
推薦者の事業(yè)部長(zhǎng)は「藤村さんは営業(yè)成績(jī)がずば抜けている。住宅営業(yè)の契約目標(biāo)は月に1棟。彼女は若手ながら1年間で12棟契約して目標(biāo)を達(dá)成し、內(nèi)訳も注文住宅からセミオーダー住宅?規(guī)格住宅まで幅広くバランスが取れていた。この成果は、お客さまの立場(chǎng)?相手軸?で考え、提案してきたからこそ。そうした視點(diǎn)は経験だけで身につくものではなく、これまでの人生で積み上げてきたものの表れだろう」と語(yǔ)る。
その推測(cè)どおり、藤村は子どもの頃から、自分よりも周りの人を思いやる“相手軸”で動(dòng)いてきた。
小學(xué)1年生で男子に交じって始めたソフトボールでは、勧められてピッチャーに。チーム監(jiān)督の父は「ピッチャーが崩れたら試合が終わる。責(zé)任を持て」と厳しかった。土日は試合、平日の放課後も公園で一人黙々と自主練習(xí)。市の女子代表に選ばれ、強(qiáng)豪チームのキャプテン、4番、エースとして戦った。
中學(xué)校のテニス部も高校のソフトボール部もキャプテン。クラスの學(xué)級(jí)副委員長(zhǎng)や生徒會(huì)役員も、どれも周りから「やってみたら?」と勧められて引き受けた。
本人は「本當(dāng)の私は、根暗でネガティブ。『できません、すみません、ご迷惑をおかけしています』と、ずっと思っています」と言う。それでも「期待に応えられないことのほうが苦しい。やるからには、ちゃんとやりたい」と走り続けてきた。その結(jié)果、仲の良い友だちからの藤村評(píng)は「責(zé)任感やばい(笑)」。
大學(xué)ではフットサル部に所屬する傍ら、大手コーヒーチェーン店のアルバイトに勵(lì)み、バイトリーダーも任された。「察して応える」姿勢(shì)を心がけ、お客さまの顔や好みを記憶し、スタッフの年齢や性格に応じて教え方を変えた。
接客や営業(yè)に向いているかもと、就職活動(dòng)は営業(yè)職に絞った。「一般の人が購(gòu)入する商品の中では、住宅が最も高額だから」とやりがいを求め、大和ハウス工業(yè)に入社した。
スポーツは練習(xí)をすれば成果が出た。「仕事も頑張っていれば、いつか契約が取れる!」と信じていた。
お客さまを迎える吉島展示場(chǎng)(広島市)
來(lái)場(chǎng)されたお客さまと打ち合わせ
小學(xué)生の女子選抜チームで活躍


チーム営業(yè)で力を引き出す
入社後の配屬先は、分譲住宅の販売部署。チラシを配り、分譲地に來(lái)場(chǎng)された方を接客した。1年目の秋、お客さまから初めての契約をいただいた。うれしかった。ようやく一歩を踏み出せた。
ところが後日、電話が入った。「希望していたエリアにマンションが建つので、今日、見(jiàn)に行ってきました。大和ハウスとの契約はキャンセルするかもしれません」。
悔しさよりも、自分の不甲斐なさが悲しく、辛かった。上司に頼りきりで、信頼される擔(dān)當(dāng)者になりきれていなかったのだ。それでも「お子さんは春から小學(xué)生。住宅の建設(shè)を待つより、入學(xué)前に住みたい場(chǎng)所で暮らせるほうがいい。幸せになってほしい」と心から願(yuàn)った。
だがその後、自己否定のループに陥る。接客しても「私でなければ次のアポや契約が取れたかもしれない」「私が至らないからだ」と自分を責(zé)め、體調(diào)まで崩した。上司は「辭める選択もあるけれど、少し休む?」と気遣ってくれたが、一度離れたら戻れない気がした。辭める前に「せめて1棟、お客さまとの出會(huì)いからお引き渡しまで見(jiàn)屆けたい」と踏みとどまった。
転機(jī)は、住宅展示場(chǎng)への異動(dòng)だった。展示場(chǎng)の店長(zhǎng) 初瀬は、人や仕事に対する視野が広く、何事にも全力を注ぐ。そして決して怒らない人だった。自分の若い頃の経験から「怒られることに意味はない」と、部下の自主性を尊重し見(jiàn)守る。そんな優(yōu)れたリーダーに巡り合い、藤村は少しずつ自分を取り戻していった。
社內(nèi)で「チーム営業(yè)」の取り組みが始まったのも幸いした。お客さま専屬の営業(yè)擔(dān)當(dāng)者を、複數(shù)のメンバーが連攜してチームで支える體制だ。若手は、店長(zhǎng)や先輩の打ち合わせに同席し、その後、自分で接客を擔(dān)當(dāng)して、良かった點(diǎn)や改善點(diǎn)のフィードバックを受ける。
店長(zhǎng)は「お客さまのためになる話、來(lái)て良かったと思っていただける話をしなさい」と教えた。大和ハウスの良いところだけでなく、他社と比べると一見(jiàn)、見(jiàn)劣りする點(diǎn)も正直に。その上で災(zāi)害への備えや將來(lái)の維持費(fèi)など、建てた後まで視野に入れていることを話すと、「確かにそこまで考えていなかった」とお客さまが気付くことも多い。
藤村は自ら打ち合わせを主導(dǎo)し、契約まで責(zé)任を持つ「営業(yè)の楽しさ」を知った。歯車(chē)が一気にかみ合い、成果が実を結(jié)んでいった。そうして今ではチームを牽引する存在へと成長(zhǎng)した。
店長(zhǎng)を補(bǔ)佐するNo.2の人財(cái)に成長(zhǎng)
後輩の相談に乗り、逆に學(xué)ぶことも多い
気さくな役員と和やかに談笑


寄り添って考え続ける
初めての受注は入社2年目の終わりごろ。鉄工所に勤めるお客さまだった。鉄骨の仕上げから溶接方法まで専門(mén)的な質(zhì)問(wèn)が相次ぎ、藤村は社內(nèi)の総合技術(shù)研究所に確認(rèn)しては回答。その誠(chéng)実さが初受注につながった。
しかし、契約後のほうが大変だと思い知る。詳細(xì)な打ち合わせや銀行など関係各所とのやりとりに追われた。次の受注も重なり、気付けば「辭めたい」という気持ちは遠(yuǎn)ざかっていた。
3年目には接客スタイルを確立。ご質(zhì)問(wèn)にも即応できるようになり、次回の打ち合わせにつながる確率は7割ほどに。5年目には入居までのスケジュールを初回から共有し、ご希望に合わせた家づくりを進(jìn)行できるようになった。次回アポ率は9割を超え、受注棟數(shù)も3年目から倍増した。
最近お引き渡ししたオーナーさま宅では、思い出話に花が咲いた。
オーナーさまは、いろんな會(huì)社に問(wèn)い合わせをされた後、1社に決定。その際、大和ハウスにお斷りの電話をくださった。「その時(shí)に出られた藤村さんが『わかりました!全然構(gòu)いませんよ』って、斷るのが申し訳ないくらい感じが良かったんです」。
その後、他社との打ち合わせが思うように進(jìn)まず、改めて大和ハウスへ。「電話口で藤村さんに『前にお斷りの電話に出られた方ですよね?』と尋ねたら、『そうです!』と藤村さんも覚えてくださっていて、すぐに展示場(chǎng)でお會(huì)いしました」。
藤村に會(huì)って感じたのは、噓がなく、提案が的確で、寄り添って一緒に考えてくれる姿勢(shì)、そして人柄の良さだった。「藤村さんだから、家を買(mǎi)いたいと思ったんです」。
ご迷惑をおかけしたこともあった。エアコンはオーナーさまが後付けする予定だったため、壁に配管穴がない狀態(tài)でお引き渡ししたのだが、その説明が不足していたのだ。オーナーさまから問(wèn)い合わせを受けた藤村は、耐震柱の位置を示した手描きの図面を用意。穴を開(kāi)ける施工業(yè)者が驚くほどの丁寧な資料でご不安を解消し、大和ハウスの技術(shù)擔(dān)當(dāng)者も立ち?xí)Δ胜墒趾瘠潖辘蛞?jiàn)せた。
藤村と、設(shè)計(jì)やインテリア、工事?lián)?dāng)者の連攜も円滑で、後輩営業(yè)からも「藤村さんは、わからないことがあれば何度でも丁寧に教えてくれる。すごく尊敬しています」との聲も聞いたそう。
「打ち合わせの楽しい雰囲気をつくっているのは、藤村さんの人柄でしょう。今日も、久々に會(huì)った親戚みたい(笑)」とオーナーさま。社內(nèi)外から寄せられる信頼が、藤村を今日の姿へと導(dǎo)いていた。
空き時(shí)間にお子さまとゲーム
オーナーさまの想いを形にした家


人生を楽しむ人でありたい
葛藤を越えてきた日々は、Daiwa House Award受賞という形で結(jié)実した。だが、知らせを聞いた瞬間から、「私でいいのか」と思い続けている。評(píng)価はうれしい。けれど、私はまだ期待に見(jiàn)合っていない。もっと努力しなければ。
住宅営業(yè)の面白さも見(jiàn)えてきた。それは、お客さまと「喜び」を共有できること。お客さまと出會(huì)い、家をつくり、暮らしを見(jiàn)守る。人生の喜びの瞬間に立ち?xí)à毪长趣ⅳ长问耸陇熙丁¥饯λ激à毪郅沙砷L(zhǎng)できたのも、周りの支えがあったからだ。
藤村は昔からソフトボールやフットサルなど、団體競(jìng)技が好きだった。だからこそ「?jìng)€(gè)人戦」だった営業(yè)が、チーム営業(yè)で「団體戦」に変わった時(shí)、潛在能力が目を覚ましたのだろう。「自分のためには頑張れない。人のために動(dòng)くのが好きなんです」。
受賞スピーチでも決意を語(yǔ)った。「大和ハウスという背番號(hào)を背負(fù)っている以上、お客さまには『大和ハウスで建てて良かった』、仕事で関わる人には『大和ハウスと仕事ができて良かった』と思ってもらえるよう、準(zhǔn)備には絶対に手を抜きません」。
鬼監(jiān)督から今では最大の理解者となった父も、藤村の背筋を正す。「お客さまには誠(chéng)実であれ」「うまくいっている時(shí)ほど、周りに支えられていることを忘れるな」。一方で「もう、そんなに頑張らんでいいよ」と體調(diào)を心配する。
大丈夫、プライベートもしっかり楽しんでいる。會(huì)社の人とはバーベキューや野球観戦。家では料理や數(shù)獨(dú)パズルで頭を“無(wú)”にして気分転換。一緒に遊ぶ友人から「昔と変わらず明るいね」と言われることも、今の自分を確かめる大切なバロメーターだ。険しい顔をして「忙しい」が口癖の人にはなりたくない。遊ぶために、仕事を頑張る私でいたいのだ。
未來(lái)を思うと、女性営業(yè)としての不安もある。出産や育児など変化の多いライフステージをどう乗り越えるか。最善を盡くせない狀態(tài)でお客さまと向き合うのは失禮だと考えるからこそ、自分がどこまで続けられるのか、まだ先は見(jiàn)えない。
それでも藤村は「働くことこそ最大の喜びである」と考える。大和ハウス工業(yè)創(chuàng)業(yè)者のその言葉に自分を重ねる。悩みも失敗も、仕事があるからこそ経験できた。自信を失い、思うように働けなかった頃よりも、今が幸せだと胸を張れる。
その想いを後押しするように、Daiwa House Awardの表彰狀に店長(zhǎng) 初瀬からのメッセージが記されていた。
「入社2年目から一緒に仕事をしていますが、決して楽ではなかったよな。それだけに今までの努力がこうして形になったことが、本當(dāng)にうれしいです。今回の受賞はまだ通過(guò)點(diǎn)。これからもその勢(shì)いで挑んでください。そして、無(wú)限に広がった選択肢で、この先の人生を楽しんでください」。
住宅営業(yè)は、人生の「喜び」を?qū)盲堡胧耸陇馈W苑证稳松驑Sしめない人間に、豊かな暮らしを語(yǔ)ることはできない。人生を楽しむことで芽生えた力が、再び仕事に注がれ、誰(shuí)かの暮らしをつくっていく。そこで生まれた「喜び」がまた、藤村を突き動(dòng)かすのだ。
Daiwa House Award表彰式
店長(zhǎng)からの祝辭が記された表彰狀
吉島展示場(chǎng)の大切な仲間たち
※掲載の情報(bào)は2025年9月時(shí)點(diǎn)のものです。
-
「住宅営業(yè)、人生の喜びをともに」
-
「建築にいのちを吹き込む」
-
「想いをつなぐリゾートホテル」
-
「自在に描く邸宅の新境地」
-
「建築事業(yè)に次なる使命を」
-
「アスリート、第二の人生が始まる」
-
「カーボンニュートラルに挑む」
-
「お客さまと共に生きていく」
-
「DXで建設(shè)業(yè)界を変えていく」
-
「日本の旅をもっと面白く」
-
「新築から『再生と循環(huán)』へ」
-
「おもてなしの心は続く」
-
「世界で活躍する16人のクリエイターと共に」
-
「再エネで故郷を次世代へ」
-
「21世紀(jì)は風(fēng)と太陽(yáng)と水」
-
「設(shè)計(jì)革命の先駆者であれ」
-
「公民連攜のまちをつくる」
-
「國(guó)の礎(chǔ)を支える」
-
「生涯現(xiàn)役で働く」
-
「復(fù)興支援に立ち上がる」
-
「住宅工法の常識(shí)を変える」
-
「アメリカを開(kāi)拓せよ」
-
「日本の工業(yè)団地を輸出する」
-
「農(nóng)業(yè)を工業(yè)化する」
